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2006年06月02日
16:50
カテゴリ
中国写真ライフ
中国写真ライフ
皆様より可愛がって頂いておりましたドリコムブログの「ブログ中国ひとりぽっち」も何かと多忙の為に、長い間更新できない状態が続いております。
「中国上海写真ライフ」の方は更新しており、そちらの方へ飛んで来て頂ければと思い本日ここに、お知らせを致したいと思います。
ブログ「中国写真ライフ」
何卒よろしくお願い致します。
以上 管理者 ブーザン@上海
2006年04月30日
15:50
カテゴリ
日記エッセー
やはり詭弁なのだろうか
やはり詭弁なのだろうか
下記の内容は昨年11月中ごろの事である。
現在、母と姑は暫くの間(3年)様子を見ることになった。
25歳で工場を経営し、気付いてみたら、
何も残っていなかった。
残ったのは思い出だけのようにも思えてならなかった。
そして、妻が必死の思いで建てた家も、あと2年で
私から子供の名義に替えようとしている。
妻はそんなにあわててあなたから子供に
名義を変えなくてもいいのではありませんか?
とは言うけれど・・・。
三番目の次男が結婚する前に妻から来たメールには
○○ちゃんともうまくやってるから、私は黙ってみてます。
しかし、その喜びも束の間、次男と嫁は結婚式を
挙げた後、嫁の言いなりで外に出てしまった。
やはり、名義は次男に変更し、彼らの幸せを願うのが
一番良いと思う。
そして妻の幸せをも考えるとその方が得策なのではと
私が判断した事である。
そして、母一人で、ほったらかしていた実家に妻を行かせて、
ゆくゆくは、実家に私も入ろうとしている。
私は妻のことを考えてると言っても
詭弁を弄する単なる策でしかないのか?
結局は長男である私の妻と同じ様なことを、
次男の嫁から受けてしまった。
私の場合は、あなたの工場の事もあり、実家から
100キロ以上離れているから、次男の場合とは違うというが、
他人から見れば同じように見えるのではないか?
自分自身を中心に考えているから、妻と子供を引き離すような
そんな事が出来るのではないか?
私は今まで、何でも自分で判断し、決定して、
それを家族に押し付けていたようなそんな事を思うにつけ、
兄貴は勝手過ぎると、弟が文句を言いたい
その気持ちがよく分かる。
高校を卒業すると家を出てしまった。
故郷から学校へ通うのに時間が掛かったからだ。
と、言えば聞こえはいいが、
家の玄関から学校のエレベーターまで
1時間45分で着くので通えない距離ではなかった。
しかし、親元を離れ、自分の考えを押し通した。
だが、一年に一度は実家へ帰った。
そして、夏には妻の実家へ恒例のごとく行った。
私の実家へは、冬の正月を利用して行った。
子供が一人二人三人と増えても、それは変わらなかった。
しかし、私が中国へ来てからは、それもままならなかった。
私の実家へもそうであるが、妻の実家へは、中国へ出てより
妻たちと一緒に、妻の実家へ行くことは
全く実現しなかった。
ただ、妻の父が他界した折は、取るものもとりあえず
航空チケットを買い駆けつけた。
中国へ出て来てより、3年目の事だった。
義父は酒が好きで、中国へ出るまでは義父とよく飲んだ。
晩年義父は葉巻の葉の栽培に追われ、お盆などに
妻の実家へ着くなり、葉の乾燥作業を、
手伝ったものだった。
温厚ないつも笑顔の絶やさない義父であった。
その娘である私の妻が自分の嫁との
何かのトラブルで、一人取り残されてしまった。
そして、私は母の元へ妻と一緒に住むことを
相談に来ている。
過去、15年の間に何度も、実家に入るように
母より言われてきたが、それを妻が断ってきた。
子供と共に住みたい。その母の思いと妻の
思いとがオーバーラップした。
幸せに、息子と嫁と生活をしていくという
その妻の思いは、一瞬のうちに打ち砕かれて
ひびから大きな亀裂が入り、思い悩み苦しみ
以前44キロあった体重が39キロまでに痩せてしまった。
この後は楽天ブログへ
続きは次回に
「中国語の勉強」
ブログは
更新中。
「画像の更新」
ブログも、
更新中。
2006年04月30日
10:16
カテゴリ
日記エッセー
思い通り行かないのが人生
思い通り行かないのが人生
弟の心の葛藤も分かるし、私に今までのうっ憤を
ぶつけたい気持ちも十二分に分かる。
弟は苦労して美容師を目指し勉強
いくつもの店で修行し自分の店を出し
土地を購入し店舗と住宅を建てた。
私といえば、洋裁プレタポルテで
修行をはじめ、デザイナーを夢みた。
が、しかし、どこで釦を掛け間違えたのか
気がつけば、25歳で工場を経営していた。
その頃はある程度の品質を保てば売れた。
作っても作っても商品が足らなくどんどん作った。
その景気も1991年末に起こった
バブル崩壊2年後より段々と翳りがみえ
私の工場にもその崩壊の波が押し寄せて来るのが
肌で感じられた。
工場を大幅縮小今で言うリストラを行い、妻に工場を任せ
以前より話の有った中国の仕事を承諾した。
その中国へ行く8ヶ月前に父を送り、中学2年と高校1年、
そして高校3年の3人の子供を残し中国へ向かった。
バブル崩壊で私の友人たちも財産を失った者や、
一瞬にして2億の借金を背負った者もいた。
多くの悲惨な状況をも目にしたが、友人などは負債が
負債を呼んで、止めるに止めれない状態まで、
追いやられ、悲惨な最期を迎えた者までいた。
私が中国へ行く気になったのは、そのような背景も
あってのことなのだが、自分が培ってきた腕が、
どこまで通用するのか試したい気持ちもあった。
しかし、そんな自分を飾り立ててもどうなるものでもない。
そして私が中国へ来て5年を過ぎた頃、私が妻に託した工場の
お客様のメーカーが、倒産してしまった。
当然のごとく、1ヵ月半の加工費が、
入らず、中国にいる私は工場の閉鎖を通達した。
妻は、もう少し頑張って仕事をして行きたい
と、懇願もしたが、これ以上の負債は
命取りになると説得仕方なく応じてくれた。
工場の多くのミシン類も妻が一人で捌いた。
工場は引き払い、今の所に家を構えた。
勿論、家の購入の為のサインには私がサインした。
と、言ってもわずかな時間を利用して帰国した。
まるでサインするために帰国したようなものだった。
すべて清算した。私が思っていたより
負債額は少なかった。
早く決心して、工場を閉鎖したからだとも思った。
続きは次回に
「中国語の勉強」
ブログは
やっと更新した。
「画像の更新」
ブログも、
なんとか更新始めた。
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